2022.03.26

愛嬌のある香りとは

春の野草を求めて山へ…ではなく今回は海辺へ春の野草探しに行ってみました。

この時期海辺の砂地のあちこちで咲いているのはハマダイコンです。写真のように単独で自生しているのもあれば、大群落をつくっているところもあります。

名前の通り野菜のダイコンと同じアブラナ科です。ダイコンを生産している畑では見かけることはありませんが、ダイコンもこのような花を咲かせます。花を咲かせてしまうことを「トウ立ち」と言い、トウ立ちさせてしまうと食べる部分である根がそれ以上大きくならず、硬くなり食味も悪くなるようです。畑でダイコンの花を見かけないのはそのためですね。

さて、このハマダイコンも食べられます!葉も花芽も実もそれぞれ食用となります。ただ肝心の根は…というと、ダイコンと比べてずっと細いうえ、はるかにからいようです。

そう言われるとあえてハマダイコンがトウ立ちする前に収穫して「ハマダイコンおろし」を食べてみたくなります。

 

浜辺で咲くハマダイコンの姿が、海の向こうへ旅立ってしまった人を待っている女性に見えることから、

ずっと待ってます

ハマダイコンにはそんな花言葉があります。

 

こちらはハマエンドウです。

上品な紫色で花の姿がスイートピーに似ているので、鑑賞用として栽培されることもあります。ハマエンドウの果実はエンドウマメと似ておりこちらも食用となりますが、毒成分を含むため過食は禁物です。下半身を麻痺させるとか……!

ハマエンドウの種子は海を漂いながら沿岸各地に生息域を広げ、たとえ5年間海を漂っていても発芽能力が失われないという研究結果が出ているそうです。

 

人とは違う個性を好きになって欲しい

海岸の過酷な環境で咲く美しい花や強力な発芽能力から、ハマエンドウにはこのような花言葉があります。

 

このタンポポに似た花の名前は単純な印象で名付けられてしまいました。

岩だらけの土地でも生育する強烈に苦い花。「イワニガナ」です。

地面を這うように伸びて広がる根の様子が地面を縛っているように見えるので、「ジシバリ」という、これまた単純な別名もあります。

単純なゆえ、印象的で覚えやすいですね。

花言葉も「束縛」です。

 

 

こちらは「ミヤコグサ」。こちらも「ひたすらに」苦いとされています。

人との関わりは歴史があり、古くから漢方薬として利用されてきたそうです。

花言葉のある「恨みを晴らす」くらい苦いのでしょうか。

「また逢う日まで」くらい苦いのでしょうか!?

 

苦い苦い「イワニガナ」「ミヤコグサ」を上回るものがこちら。「ヒメオドリコソウ」です。

シソ科なのでミントのような香りだろうと安直に考え葉をもんでみてしまうと、さあ大変です。強烈な青臭さのするキツイ悪臭を発します。ミミズの匂いと表現されることもあります。どんな葉でも食べつくす害虫すらこの葉には手を付けません。

ここまで来るとこの匂いはむしろ

「愛嬌」

ヒメオドリコソウの花言葉です。

 

 

海辺には日本原産の多肉植物も生息しています。

この「タイトゴメ」はセダムの仲間として鑑賞のため栽培され市場に流通もされている近年人気上昇中の多肉植物です。タイトゴメは5~7月に黄色い花を咲かせます。出回っているものの多くは温室栽培のため緑色をしていますが、冬の寒風が吹き抜ける海岸で自生しているものは写真のように紅葉しています。

赤いセダムは持ち帰りたくなるくらいですが、自生している植物は自生している場所が一番。その場で楽しむだけにします。

 

こちらも多肉植物のような「ハマボッス」。サクラソウ科に属しています。白い花が5~6月に咲き、その姿が仏具の払子に似ていることからその名が付いています。そのイメージからか、「海への祈りを込めて」という花言葉があります。

ハマボッスは昨年の種殻がボタニカルアートそのもののように残っていて、何かアレンジメントなどのアクセントに使えそうです。

 

最後は海辺で咲く花の代表格、水仙です。

暖かい海流のおかげで極端に気温の下がらない海辺では早春から花を咲かせます。水仙の原産国はスペインや北アフリカの地中海地方です。水仙の日本における生息域拡大については興味深い説があります。たいていの外来種は海外との交易があった地域から広がっていきますが、水仙は日本の海岸線に集中しています。このことは交易による人に運ばれたというよりも、海流によって沿岸各地に運ばれたと示しています。あの大きな球根が海流にもみくちゃにされても発芽できる、というのは物凄い能力です。

 

水仙の花言葉には「うぬぼれ」というのがあります。これは水仙の花がまるで足元の水面に映った自分の姿にうっとりしているように下を向いて咲いていることがその由来です。

ただ、荒れた海を乗り越えてやって来たということを知ると、そうなってしまう気持ちもわかる気がします。

 

 

日中の短い時間を少しだけ注意深く歩き回っただけで、これだけ個性的な植物を見つける事ができました。共通するのはどれも強靭な生命力です。そして深い深い花言葉もとても印象的です。

ほとんどの人が「雑草」「荒地」と表現するような海辺をうろうろした春の一日でした。

 

(埼玉日高農園、サトウ)